「食育」のルーツは「医食同源」だったようです

すいません、先週はあまりに話題が豊富だったので投稿するタイミングを逸してしまったのですが、食育について調べようシリーズ、2回目です。

日本で一番最初に「食育」と言い出した人を調べたところ、石塚左玄という方が明治時代に「食育」という言葉を用いていた、というところまで分かりました。その続きを調べてみます。

石塚左玄という人がどんなことをしていたのか調べてみた

この石塚さん、明治時代の軍医、つまりお医者さんだったそうです。

自身が子供の頃から病弱だったこともあり、まだ栄養学が世に知られていない頃から栄養のことについて多くを学び、食事指導などで病気を治したりするなどして、医食同源としての「食養」というのを提唱した人です。

彼はその理論を体系化し、自らの著書の中で「体育智育才育は即ち食育なり」 という言葉を使って、この「食育食養」を日本に普及させようという活動をしていました。

今の栄養学からすると必ずしも結びつかない部分も多少はあるようですが、彼の唱える「食育」とは、医学・栄養学的な見地からの、医食同源に近い思想だったことが分かります。例えばこんなの。

陰陽調和 当時の西洋栄養学では軽視されていたミネラルのナトリウム(塩分)とカリウムに注目した。陽性のナトリウム、陰性のカリウムのバランスが崩れすぎれば病気になるとした[9]。ナトリウムの多いものは塩のほかには肉・卵・魚と動物性食品、カリウムの多いものは野菜・果物と植物性食品となる[10]。

Wikipeda – 石塚左玄

要はバランスのよい食事を心がけなさいということです。今では当たり前の話ですが、この頃にはまだあまりこうした考え方は一般的ではなかったようです。

そして、栄養学とは直接関係ありませんが、その中で石塚さんが残した言葉の中で、興味を引かれる言葉を見つけました。

身土不二 「郷に入れば郷に従え」、その土地の環境にあった食事をとる[8]。居住地の自然環境に適合している主産物を主食に、副産物を副食にすることで心身もまた環境に調和する。

Wikipeda – 石塚左玄

これ、元は仏教用語だった言葉を石塚さんが再定義したものなんですが、この定義は今でいうところの「地産地消」です。これも今で言う食育の一つですよね。

100年以上前にこうした考えを持って活動してらっしゃる方がいると知って、とても興味深かったです。


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投稿者:

よしだ

よしだ

Webプロデューサー、レッスン&セミナー講師、マーケティングコンサルタント。ときどきカメラマンとしても活動。

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